
自分は一人の巡礼旅である。でも、別に驚きもせず其れをそのまま自分は受け入れた。
その後、自分は京都のお寺で一回2時間の毎日曜日の日曜坐禅をして、この子供の供養を和尚にお願いした。名前も付けて頂き塔婆も書いて頂いた。このお経の中で和蝋燭の外を残し、芯だけが下まで燃え、和尚が慌てて蝋燭消しで消した。和尚曰く「お前には何か付いている・・・」。
以後10年間坐って見たが、何も変わらず、何も分からなかった。其処に居られた他のお寺の和尚、「何も分からないと言う事が判ったでは無いか」。
このお寺での修行(供養)中、相談に来られた2名の方の相談相手をした。和尚曰く「お前でも出来る」。以心伝心。
其処から得た言葉は、「修行修行も是また業」。
そう、何処かで日本一修行したと報道された人間の最後の行いを知れば良く分かる。人間の本性、幾ら修行しても何処かに土足で上がっても、死ぬまで変わらん。
死なせてしまった命、幾ら供養しても足りない。親は子供より幸せに成ろうと思ってはいけない。
自分の巡礼の時代、愛読書は中村元著「ブッダの言葉」だった。
和尚の言葉は、坊主が宗教を語れば嘘くさい。この和尚、現在某大本山老師をされている。
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★ 写真は昔々に自分の書いた墨絵、子抱き観音と六羅漢。
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※ 東大教授・矢作直樹さんインタビュー(2)亡くなった人に見守られている
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20130215-OYTEW51883/
「科学は現象のメカニズムは説明しますが、例えば、なぜ宇宙があるのか、という根源的な問いには答えません。この世界は神秘に満ち、人が知りうる部分はわずかです。欧米では著名な科学者が心霊研究に取り組んできた歴史がありますし、今も代替医療などへの関心は高いのですが、日本は明治時代に古来の思想を捨ててしまいました」
――もっと宗教を大事にすべきということですか。
「特定の神様を信じる必要はありません。人知を超えた大きな力の存在を意識すればいいのです。それを宗教では神と呼びますが、私はそれを『摂理』と呼んでいます。日本人はよく無宗教だと言われますが、古来、森羅万象に神々の存在を感じ、死者の霊の存在も信じてきました。そうしたすばらしい感性は、今でも残っていると思います」
「摂理によって人は生かされており、肉体は滅んでも霊魂は永遠である。亡くなった人の霊に、いつも自分は見守られている。そのように考えれば、生きている限りは感謝の気持ちを持って生きられ、死に直面してもあわてずに済むのではないでしょうか」
「危険な宗教には近寄ってはいけません。見分けるのは簡単です。心身を追いつめる、金品を要求する、本人の自由意志に干渉する、他者や他の宗教をけなす、そんな宗教は危険です」(終わり)
矢作直樹(やはぎ・なおき)
1956年、神奈川県生まれ。金沢大医学部卒。麻酔科、救急・集中治療、外科、内科など経験し、2001年から、東大医学部救急医学分野教授、同大病院救急部・集中治療部長。著書に「人は死なない」(バジリコ)など。
※ 東大教授・矢作直樹さんインタビュー(1)救急の現場から霊や神を語る:
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20130214-OYTEW51881/
以下の様な記事もネットに有りました。
※ お迎え現象 - Wikipedia:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E8%BF%8E%E3%81%88%E7%8F%BE%E8%B1%A1
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※ 親は子供より幸せに成ろうと思ってはいけない!
https://m-jun.seesaa.net/article/472305567.html
※ 大人は小さな子供に絶対に嘘は付かないでください!
https://m-jun.seesaa.net/article/472305387.html
※ 一般人の緊急対処の実情・「初期消火や初期の救助は重要だが・・・簡単で無い!」
https://m-jun.seesaa.net/article/377835954.html
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