
写真、これで良いと言う事は絶対に無い。芸術、これで良いと言う事は絶対に無い。素人が見るのだからこれで良いと言う事は絶対に無い。自分が一番知っていると思うのは、愚の骨頂。
良く自分の個展でも、他人の個展でも、個展会場に居れば、
「色々見るのが好きなのですが、是はどのように見ればいいのですか?」と聞かれる事が多々有った。
「ご自分の好きな様に見られればいいのですよ」と言うのが一般的答えである。
「いえ、自分は芸術など習ったのは中学・高校程度ですから」と言われたりする。
この答えが的を得ているし、これ以外答えようが無いのも事実でもある。其処でもう一言付け加えるなら、
「貴方はご自分が使う箸や茶碗を選ぶ時、是がいいと選んでいるでしょ、子供の時から、其れが既に芸術を選ぶのと同じです。当然、ご自分の好き嫌いも入ります。」
と答えたりもした。でも、プロにはこんな”素人さん”が一番怖い。別にこの質問をした方が芸術家を試そうとしたとも思ってはいない。単純に芸術に興味が無い方で有っても、素人さんが一番怖いと言う話である。
素人さん、曰く普通の方が一番芸術家の手抜きを一番見破る力を持っていると言う事でも有る。プロの芸術家と言われる人間は単に、其れを言葉でその方が納得できる様に説明できる力を持ち合わせる方も居るという話だけである。
是が芸術家が作った100点と言う作品は絶対に無い。ただ、模範とする作品、其れに近い作品を後世の人間が是は凄いとしただけの事である。そして、その作品を分析、理由附けしたに過ぎない。習えば是を学ぶ。
其れを分かった芸術家は自分の作品作りに余計に悩み、作品が出来ない。なら、芸術系の学校に行けば何を習うかと言えば、当然良い作品作りも習うが、その見方も習う。当然、其れは自分の作品作りに生かされる”筈”である。
そんな芸術の中に写真が有るとすれば、今は一億総写真家時代でも有る。ただ、このデジカメ時代に成って、特に日本の写真家は自分自身の写真が下手に成ったと言う。其れは作品を作ると言うか、撮る前に考えると言う事が少なく成った為と言う事だと何方も分かってはいる。
今は機材が良く成ったのも原因の一つでも有る。今は写真自体は撮れば写る。何の技術も要らない。連写も簡単に出来るし、メモリの大きな物を入れれば何百枚もの写真が直ぐに撮れ、撮った物も直ぐに見る事も出来る。
是で、昔の写真家の技術の半分以上を普通の方が何の技術の習得も無しに持った事に成る。後は選べばおしまい。この選ぶと言う作業、曰く必要な感性は一般素人さんが子供の時から普通に磨かれている。
そして、是はご自分が其れに長けてると言う事を知られないだけで、天才と言う方が存在するのも確かで有る。この持って生まれた天才と言われる方には幾らの努力型芸術家は勝てないのである。
其れでそんな努力型芸術家の最後は、坐禅に通ったりもする人もいる。馬鹿な芸術家は、昨今TVでも話題に成った様に道を踏み外したりもする。
坐禅、通えば何か判るかと言えば、多分何も判らない。ただ、平静を長く保てると言う事だけは学ぼうとすれば学べると思う。でも、坐禅は以心伝心、何も言葉やビデオで学べる物では無い。
以心伝心、昔の師匠・弟子の関係に等しい。でも、そんな師匠は普通の素人さんから多く学んだと言う事も多い。素人さんは其れがそんな所に使え、自分が其れに長けてると言う事を知られないだけである。
写真、写真の中で一番注意しなければ成らない写真が有る。其れがどんな写真かと言えば、女性写真。
単純に言えば、日本人1億人の半分は女性、批評家・評論家は日本国民の半数がそうだと言う話である。そして、女性は同じ女性写真を一番関心を持って見ると言う事も自分は勉強して知った。
でも、どちらかと言えば自分は現実派、歳行けばしわも有って当然、写って当然とする人間、自然や花を写せば生き死にが有って当然とする人間である。
そんな自分が花や自然を撮れば、花のつぼみも入るし、枯れた花も入れてしまう。其れが自然と思っても居る。でも、其れだけでは写真を撮れる事に成らない。其処で自分は花を写す為に、生け花を習ったりもした。
其処で、歳老いたお花の先生と芸術論で意気投合したりもした。そして、其処で生け花が何かも学んだ。
そんな先日、有る方が撮った女性写真を相方に見せた。その写真に相方が見た物は・・・。
@ 目の中に、写した人が映り込んでる。
A 女性のお化粧の仕方がいまいち良く無く、是は素人化粧。
・ マスカラがきれいじゃない。
・ 付けまつげも少ししてるが、処理がきれいじゃない。
・ 肌のファンデーションも、良く言えばナチュラル。
B その前に、彼女にはもうちょっと似合う髪形、メイク、服装がある。
C 結果、写真の彼女はモデルでは無く素人さん。
是が、普通の女性が見た写真のプロと言われる人間が撮った女性写真から見えた物、男性ではこうは行かない。其れは、男性なら学ぶしかない。そして、女性写真を撮る場合の先生、師匠は何処にでも居ると言う話でも有る。
そうそう、写真を始めた方に良く聞かれる事がある。
「何を撮れば、綺麗に撮れますか?」
「其れは自分が一番愛する物を撮れば、一番綺麗に写ります。其れが自然で有っても、愛する人で有っても。そして、撮っていれば其処から学ぶ事も多いです。」
そして、是が何故綺麗に写るかにもきちんとした理由が有る。
知らねば、何処かで学ぶか、ご自分で学習するしか方法は無い。写すだけなら、今は上に書いた様に子供でも何方にでも出来る。選ぶことさえも。
(*^‥^*)」 イヨッ