掲載:2017年05月12日
 以前からこのブログに書くように、昔、山に登る人間は馬鹿息子と言われ、登山が人に自慢できる趣味では無かった。

 しかも、危険なので普通には一般生命保険しか入れず、今の様に1日でも入れる登山保険など危険なので皆無。

 最近、夏山であれ冬山であれ、事故が発生すれば大きく報道されるが、何度も書くように、山登りには低山であれ高山であれ夏山であれ冬山であれ「絶対安全」はあり得ない。

 山に登る御本人も、未成年なら親御さんも、其れを良く知って登山して頂きたい物だ。事故が起こってから何を言っても死んだ人は戻らない。

 山や自然相手に絶対の安全と言う物は有り得ない。其れを知っての登山の楽しみである。大自然は本当に大きな感動をくれるが、其処には危険が大きく口を開けて待っている。

 そして、全て自己責任である。其れは指導者の付いたパーティーでも同じである。山や自然相手に熟練者・ベテランなど有り得ない。知った人間など有り得ない。

 山登りの熟練者・ベテランとは、山登りの経験が人より多く、単に今まで運の良かった人間を言う。山のベテランと言われる人間が何人も山で死んでいるのがいい例である。自分の周りでも今迄3人の人間がかの世に行った。

 起こった後には、誰でも何でも言える。自分も同じだが、発言に責任の無いTVコメンテーターに同じである。

 自分は事故が起こった後、何故事故は起こったのかとか、責任は何処に有るのか明確にして欲しいとの言葉を何度も報道で聞くのが堪えられない。

 大自然を相手にすれば、大なり小なり事故は必ず何処かで起こる。山登りが安全なら、昔から山男の事を馬鹿息子などとは言われない。

 因みに、ベテランガイドとは行動中の危険を知った範囲で予知・回避し、事あれば身を挺して同行者を守る人間を言う。行動外では、少し山を良く知った人間に過ぎない。

 同行者を守れるか守れないかも是また運で有る。

 自然を相手にすれば、行動中は初心者も熟練者も大きく運に左右され、運は人に平等で有る。

 登山で運が良かったと言う事は、何度も山に登れば何度でも経験する。其れに気が付いたか付かないかの違いのみである。知らぬ(気がつかぬ)方がパニックにならず安全と言う事も有る。

 山は、低山であれ高山であれ、夏山であれ冬山であれ、侮ってはいけない。

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「絶対安全」あり得ない=学校説明にベテランガイド批判−栃木スキー場雪崩

【記事引用】

 栃木県那須町のスキー場付近で生徒ら8人が死亡した雪崩事故で、県立大田原高校が29日に行った記者会見での説明に対し、ベテランの山岳ガイドは「絶対安全という言葉は使ってはいけない」と厳しく批判した。

 30年近くガイドを務める東京山岳ガイド協会会長の下越田功さん(73)は、学校側が「絶対安全だと判断した」と説明したことに、「山登りは自然が相手だ。何を根拠に安全と言っているのか」と疑問を呈した。

 遭難時に位置情報を発信できる「ビーコン」を生徒らが所持していなかった点については、「積雪期の登山には(ビーコンやスコップなどの)『三種の神器』が必須。登る場所や標高は関係ない」と強調した。

 生徒らに雪崩の対処方法を教えていなかった点には、「雪崩に巻き込まれたら、残った人たちで早急に救助活動をするのが原則で、通常は事前にロールプレーなどで訓練を行う」と指摘した。

 下越田さんは「山登りのベテランとは、常に新しい知識を取り入れ、事故を未然に防ぐ人のことだ」と強調。山岳部顧問の教諭が、無線機を車に置いたままの時間帯があったと話していることも踏まえ、「緊張感を持ってリスクマネジメントをしていなかったのでは」と話した。(2017/03/29-23:03)

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※「個の時代」、頼りはSNS…今どきの登山事情:
 http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160720-OYT8T50093.html?from=yhd
 山と渓谷社 ヤマケイ登山総合研究所長 久保田賢次
 2016年07月20日 17時10分

【記事引用】

 今年の8月11日は、国民の祝日となって初めて迎える「山の日」だ。「山ガール」の登場などで最近の山道は明るくにぎやかだが、一方で課題や問題なども増えているという。山岳情報のエキスパートである筆者に、登山をめぐる最新事情を、事例を交えて解説してもらった。

初の「山の日」…各地の山で今、何が?

 今年8月11日は「山の日」。日本で16番目の国民の祝日だ。当日は長野県の上高地で初の「山の日」を記念する全国大会が開かれるほか、年末にかけて各地で登山教室や講演会、展示会などの記念イベントが行われる。

 「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という祝日の趣旨に合わせ、山歩きに出かけようと考えている人も多いだろう。自然との触れあいを求める人が増えるのは喜ばしい。ただ、少々気がかりな点もある。

 私は登山の専門出版社に35年近く勤め、山を巡る変化を目の当たりにしてきた。昨春からは、ヤマケイ登山総合研究所に所属し、山の事故などを分析する年度版「登山白書」の刊行に携わっている。そうした経験を元に、最近の登山事情について記してみたい。

 増える遭難、変わる特徴

 まず、最初に指摘しなければならないのは、遭難事故の増加だ。

 警察庁が発表した2015年の山岳遭難件数は2,508件。遭難者数は3,043人で、ともに1957年に統計を取り始めて以来、最多となった。

 特に7月、8月の登山シーズンには、25%に当たる647件が集中し、782人が難に遭った。近年は猛暑などで体調を崩す例も多いと指摘される。

 では、どんな人たちが事故に遭っているのだろうか。遭難者を年齢層別に見ると、60歳代が最多で70歳代がそれに続き、合わせると遭難者の46%を占めた。一方、40歳代は前年比で40%近くも急増していた。

 事故の態様を見ると、1位は「道迷い」の39.5%。2位は「転落・滑落」20.0%、3位は「転倒」15.3%、4位は「病気・疲労」13.3%となっていた。日本アルプスなどの険しい山では転落・滑落が多く、低い山では道迷いが多く見られた。

 最近は、登山パーティーなどが大規模な事故に遭うケースは減っているが、代わりに、初心者らの比較的軽い事故が多くなっている。若年層、特に女性らを中心に登山を手軽に楽しむ人が増え、山道には活気が出て華やかさも増したが、反面、事故に遭う人も増えてしまっている。また、久しぶりに登山を再開したり、「自己流」で始めたりした中高年層の遭難も多い。

 後を絶たぬ「初心者の事故」

 日本の登山人口はピークを過ぎたと言われている。比率の高かった中高年層が、本格的登山から引退しつつあるためだ。それなのに事故が増えているのは、前述のような初心者らによる事故が後を絶たないことを物語っている。

 装備の進化や山道の整備などにより、登山は従来の辛つらく厳しいイメージから、快適で気軽に始められるものへと姿を変えつつある。大自然の素晴らしさに、より多くの人が触れられるのは素晴らしいことだが、反面、気まぐれで変化しやすく、時に過酷な表情を見せるのもまた自然だ。

 そうした中で事故を避け、身を守るためには、絶対に欠かせない手続きがあるのだ。「事前の準備」と「情報収集」。ともに、カギは「人とのコミュニケーション」だ。

 “SNS登山”の落とし穴

 例えば、最近はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などで手軽に情報を集めて山に向かうことが、一種のトレンドのようになっているというが、そこには“落とし穴”もある。

 2008年ごろから富士登山ブームが続いたが、初心者レベルの人が「日本一の富士山(3776m)に登ったから、次は二番目に高い北岳(南アルプス、3193m)に」などと、山の険しさや難易度を考えずに、単純に標高順に目指す山を決めてしまったという無謀なケースがあった。

 比較的条件の良い夏山登山をした人が「軽装でも平気」などと情報を拡散したためか、高山を走り通すトレイルランニングに、街中のジョギングとほとんど変わらない装備で出かけてしまった例もあった。

天気の急変に備え、雨具、ライト、防寒具、食糧、飲料、簡易テント、救急用品などが必携だという「山の鉄則」は、時代が変わっても不変なのに。

 登山も「個の時代」に

 登山における「知識」や「情報」は、命綱の一つと言っていい。山の状況は、季節はもちろん、日ごと、時間ごとに目まぐるしく変化し、「情報」も前提が変われば役に立たないどころか、危険を招くことさえある。これまで登山者たちは経験を元に、先輩から後輩へ、経験者から入門者へと、そうした知識や情報を伝えてきた。ともに山に登る時が、その一番の機会だった。

 しかし、今、その機会は失われつつある。月刊「山と溪谷」16年8月号は、「登山と登山者の変遷」という企画を組み、「誰と山に行きますか」というアンケートへの回答が時代とともにどう変わったかを紹介している。1992年の調査では、「学校または職場の山仲間」が28%、「家族や親族」が21%、「同じ山岳会や登山クラブの人」が19%となっていた。

 ところが、2016年の調査で最も多かった答えは「単独」の36%。「友人・知人」と「学校・職場の仲間」が同じ26%で続き、「山岳会・登山クラブ」は6%に減っていた。

 一人で山を目指す人が増えれば、技術や知識の伝達は途絶えがちとなり、特に初心者はSNSなどを頼みにすることになる。もちろん、登山雑誌や出版物、ガイド講習やセミナーなどを通じての学びの機会はあるが、初心者の場合は、注意喚起などが伝わりにくいのも事実だ。

 こんなことが起きている

 登山も今や「個の時代」となり、仲間や組織で助け合い、教え合いながら、時に厳しく、時に仲間と一緒に喜びを味わうという姿から、自己流で覚え、好きに過ごすスタイルへと変わりつつある。人間関係も、命を預け合う濃密な関係からドライな関係へ――。そんな時代を象徴するような事故も起きている。

 2013年8月、中央アルプスで1人が亡くなる滑落事故があった。難に遭ったのは、インターネットのコミュニティーサイトを通じて知り合った仲間たちによるパーティー。同行メンバーたちは、亡くなった人の住所はもちろん、本名さえ知らなかったという。ごく希にではあるが、こうしたケースも実際に起きているのだ。

 日頃、登山者の安全確保のために努力してくれている北アルプスや八ヶ岳などの山小屋の方々からは、登山者との関係について、諦めに似た声を聞くことがある。

 あまりに軽装な人や、遅い時間になって山小屋に平然と到着する人などに、安全のためのアドバイスをしたところ、苦情を言われたあげく、SNSなどで不満をぶつけられ、拡散されてしまったという。これではもはや、登山者のためを思って発言することすら諦めざるを得ないという残念な話だ。

 情報の発達は「両刃の剣」

 情報技術の発達が、プラスになった面ももちろんある。

 携帯電話などの普及で、山での救助要請はかつてとは比較にならぬほど容易になった。15年の遭難件数の実に76.6%が、携帯電話などを通じて救助依頼されたものだった。中には自力下山が可能なケースもあったのではと指摘されるが、症状が悪化したり、死亡や行方不明などの大事に至ってしまったりする前に助けてもらえるのは、登山者にとってはありがたいことだ。

 その一方で、登山者の「依存心」を高めてしまうことへの不安もやはり、否めない。山で連絡が取りやすいということは、重大事故を防げる反面、誰かに依存してしまうという「両刃の剣」的な側面があるのだ。

 自治体の“保護”

 こうした中、有名登山地を抱える自治体は、“登山者保護”への動きを見せている。

 14年、長野県は、同県内の登山の難易度を示す「山のグレーディング」を発表。県内の登山ルートを体力度10段階、技術度5段階でランク付けした。翌15年5月には新潟、山梨、静岡各県も続いた。自分の体力や健康状態を正確に認識できぬまま、「遭難は他人事ひとごと」と思ってしまう登山者が多いため、身の丈に合った計画を立てられるように自治体が目安を示したのだ。ほかの県でも導入を検討しているという。

 15年12月には「長野県安全登山条例」が成立。今年7月1日からは、一般登山道での登山計画書の届け出が義務化された。

 これらは、「個の時代」になって失われてしまった登山者間のコミュニケーションを、行政が代行しているとも言えるだろう。

 背景には、自治体側が抱える事情もある。15年に長野県内で遭難した300人のうち、同県在住者は1割強の37人。圧倒的多数を県外からの登山者が占めていた。ヘリコプターが出動するような大掛かりなケースでも登山者自身が支払う費用は一部に過ぎず、残りは地元自治体が負担する形だ。ヘリ出動費用の有料化や入山料の導入なども、しばしば話題に上っている。

 こうした自治体の対応が将来の「規制」につながり、登山の自由を奪うことにもなりかねない――。ベテラン登山者からは、そんな懸念の声も上がっている。

 今こそ、「登山者の矜持」を

 登山を巡る事情がこのように大きく変わる中で、今年の「山の日」を機に、登山の意味を見つめ直したい――と私は考えている。

 まずは、山での「コミュニケーション」が持つ意味だ。

 私たち登山者は、山ですれ違う見ず知らずの人たちと、「こんにちは」と自然にあいさつを交わす文化を今も持っている。これは単にマナーの問題ではない。大切な情報を伝え合うための第一歩なのだ。

 最近は、気候変動による急激な天候の変化や豪雨などで、山道の状況が目まぐるしく変わることも少なくない。下山する人がこれから登る人に対して「頂上は寒いから、もう1枚羽織って行かないと」とか「あそこは危ないから、気をつけて行ってくださいね」などと話しかけることは、最もタイムリーで有効な情報伝達となるのだ。だからこそ、「個の時代」となってもこの文化を失うことなく、さらに広げていけたらと思っている。

 もう一つは、山での「便利さ」「快適さ」の意味だ。

 手軽さを好み、面倒を避けたがる最近の登山者気質が、予期せぬ事態を招き、登山の自由すら脅かされかねない時代が近づいていることを紹介した。

 こうした流れのなかで今こそ必要なのは、「不便さ」も含めて味わう心を取り戻すことではないだろうか。計画段階から、ひと手間もふた手間もかけてみる。出かける前に関連の本などを読んで、その山の自然や歴史などにも関心を持つ。「目的の山の頂にいち早く着けばいい」というだけでなく、山を幅広く見つめてみることで味わいもさらに広がるはずだ。

 山での便利や快適は「依存」につながりやすいと書いた。ならば、不便は「自立」へとつながるのではないか。登山を楽しむ、山の恩恵を受ける私たち登山者こそ、人に迷惑をかけずに自立して行動したい。今こそ、「登山者の矜持きょうじ」を取り戻すべき時に来ているのではないか。登山者の間では「ケガと弁当は自分持ち」、「山ヤの矜持」などと言う言葉も使われてきた。要は自分のことは自分でやるという心意気だ。

 個の時代、SNSの時代に「登山」はどうあるべきか、「山の日」を機会にさらに考えていきたい。

プロフィル 久保田賢次( くぼた・けんじ )
 1958年茨城県、筑波山麓に生まれる。早稲田大学商学部卒。82年山と溪谷社に入り、月刊誌『山と溪谷』編集長、電子雑誌「週刊ヤマケイ」編集長などを歴任。2015年4月から現職。日本山岳遺産基金事務局長も務める。

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